やもうど の うた
| 平野福朔・平野勘三郎 述/志村俊司 編 |
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| 山人の賦 III――桧枝岐・山に生きる |
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日本三大秘境の一つに数えられていたかつての秋山郷で、今では想像もつかない貧しさと飢えに耐えて必死に生きた一人の女のすさまじい暮らしと苦難の生涯――。
高冷の谷間を耕し、山に入ってケモノを狩りイワナをとり、山奥の小屋にこもってヘラ・シャクシを作り、峠を越えてカヤ屋根を葺いてまわり、自らを山人(やもうど)と呼んだ人たちが、山に生きた日々を語る興味深い話の数々。 桧枝岐は尾瀬の北にあって、2000メートルを超す山々に囲まれ、半年は雪に埋もれる文字通りの寒村だった。男たちは山に入って木工に励み、あるいは猟師となり、あるいは屋根屋になって他県に出稼ぎして暮らしてきた。本書は14歳からシャクシを作り続けた82歳の平野福朔さんと、17歳から屋根屋に出た同年の平野勘三郎さんの話をまとめた。 | |
1906年(明治39年)3月、福島県南会津郡桧枝岐村に生まれ、
尋常小学校を卒業後、数え14歳の春からシャクシ作りを始める。
17歳で実兄の養子となり、21歳で結婚。
以後、夏は広窪の出作りで農業をするかたわら、
山に入ってシャクシを作り、冬はシャクシ作りに専念。
60歳を過ぎるころまで、人里離れた山奥の
シャクシ小屋を転々として暮らす。
1991年2月1日逝去。
平野勘三郎(ひらの・かんざぶろう)
1906年(明治39年)3月、福島県南会津郡桧枝岐村に生まれ、
尋常小学校を卒業後、数え16歳の春から
父が棟梁をしていた屋根屋になり、26歳で結婚。
67歳まで夏は鳴滝の出作りで農業をし、
11月から翌年4月まで、真冬の1ヶ月を除き
引馬峠を越えて栗山から川治・鬼怒川、日光・今市
の在までカヤ屋根を葺いて回る。志村俊司
(株)白日社代表取締役。東京大学文学部フランス文学科卒業。
図書新聞を振り出しに、総合雑誌「日本評論」の編集長、
紀伊国屋書店編集部長、竹内書店編集部長を経て、昭和48年に
白日社を創業、現在に至る。■目次
まえがき
◇山人――平野福朔
山に生きて
出作り・昔の暮し
シャクシぶち
シャクシ小屋
ケモノとイワナ
◇屋根屋・カヤ葺きの職人――平野勘三郎
村の暮し
出作り
出稼ぎ
峠を越えて
屋根葺き
あとがき
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