| 鬼窪善一郎、平野輿作 述/志村俊司 編 |
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| イワナIII――続・源流の職漁者 |
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ともに名手と呼ばれた2人の“イワナの達人”が語る、イワナ釣り人生の総決算!
猟師、職漁者、ボッカ、ガイド、山小屋の管理人として、生涯を黒部に生きた鬼窪善一郎――。彼は40年、黒部の源流域でイワナ釣りを生業とした。 尾瀬の山小屋の二代目である平野輿作――。尾瀬ケ原とその周辺の谷で数十年、同じくイワナ釣りを生業とした。 名人2人が語り尽くす、山、自然、釣り、そして生きざま……。 | |
1914年(大正3年)、長野県北安曇郡広津村に生まれ。
昭和13年からボッカを始め、以後、ガイド、イワナ釣り、
猟、山岳救助と山一筋に生きる。
黒部五郎の小屋番を13年続け、以後、三俣の小屋に移った。
75歳の時点で、標高2600メートルの三俣の小屋から
一日で降りてくるほど足腰が達者だった。
「黒部の山賊」「山賊鬼サ」と呼ばれた伝説的人物。
『黒部の山人』(白日社刊)の述者。平野輿三郎(ひらの・よさぶろう)
1897年(明治30年)5月27日、福島県南会津郡桧枝岐村に、
猟師・平野仲次の長男として生まれ、15歳で猟師となる。
大正6年、現役兵として入隊、シベリア出兵に参加して大正9年除隊。
結婚後、大津岐開拓に加わり、10年後村に戻り、
戦後、奥只見・砂子平の開拓に参加。
昭和27年尾瀬ケ原の見晴に平野長英氏の小屋を借りて入り、
山小屋を始め、32年に燧小屋を建てる。
その間、農耕、狩猟、漁労、木工、木挽などにより生計を立てる。
生涯に獲ったクマの数は350頭を超えるという。
『山人の賦II』(白日社刊)の述者。昭和63年8月16日逝去。志村俊司
(株)白日社代表取締役。東京大学文学部フランス文学科卒業。
図書新聞を振り出しに、総合雑誌「日本評論」の編集長、
紀伊国屋書店編集部長、竹内書店編集部長を経て、昭和48年に
白日社を創業、現在に至る。■目次
まえがき
◆40年、黒部源流を釣る――鬼窪善一郎
商売のイワナ釣り
商売でやるまでは
本格的な商売のイワナ釣り
当時の黒部の職漁者
釣り小屋の暮し
薫製の作り方
ガイドとイワナ釣り
小屋番とイワナ釣り
オレの仕掛け
オラのイワナ釣り
初心者へのアドバイス
イワナの話
今は
◆尾瀬のイワナを釣って――平野輿作
山小屋とイワナ釣り
尾瀬のイワナ釣り
竿と仕掛け
毛針のテクニック
尾瀬のイワナ
あとがき
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