ダーウィンと家族の絆――長女アニーとその早すぎる死が進化論を生んだ

●ランドル・ケインズ著/渡辺政隆・松下展子訳 ●定価(本体3800円+税)  

“壁”を超えていった人の話が、 面白くないはずがない。――養老孟司


苦難を乗り越えて19世紀を生きるダーウィンとその家族の姿を、
子孫である著者が、新発見の資料もまじえて生き生きと再現。




ランドル・ケインズ著/渡辺政隆・松下展子訳   著者紹介
ダーウィンと家族の絆   まえがき
     目次
     解題――進化学を育んだ家
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苦難を乗り越えて19世紀を生きる
ダーウィンとその家族の姿を、
子孫である著者が、新発見の資料も
まじえて生き生きと再現。


  • 四六判  上製
  • 628ページ
  • 定価(本体3800円+税)

  • ■著者紹介

    著者 ランドル・ケインズ(Randal Keynes)
    1948年、英国ケンブリッジ生まれ。
    オックスフォード大学で人類学を学び、国家公務員となる。
    学者一家の生まれで、チャールズ・ダーウィンは高祖父(祖父の祖父)、
    経済学者のジョン・メイナード・ケインズは大叔父(祖父の兄)にあたる。
    本書が初めての著書。
    ダーウィンの元住居ダウンハウスの修復事業に協力する傍ら、
    ダーウィンの庭と植物学研究に関する著書を執筆中。ロンドン在住。


    訳者
    渡辺 政隆(わたなべ まさたか)
    サイエンスライター。
    文部科学省科学技術政策研究所上席研究官として
    科学技術理解増進方策の調査研究に従事。
    専門は科学史、科学コミュニケーション、進化生物学。
    著書に『DNAの謎に挑む』(朝日新聞社)、『シーラカンスの打ちあけ話』(廣済堂出版)、
    『ガラガラヘビの体温計』(河出書房新社)ほか、
    訳書にデズモンド&ムーア著『ダーウィン』(工作舎)、
    ドーヴァー著『拝啓ダーウィン様』(光文社)、
    グールド著『ワンダフル・ライフ』(早川書房)、
    フォーティ著『生命40億年全史』(草思社)ほかがある。


    松下 展子(まつした てんこ)
    株式会社TENの代表取締役として、
    国際会議や学会の企画運営および通訳・翻訳の業務に従事。
    外国語学校・通訳者養成のTENランゲージ&コミュニケーション学校長。
    訳書にグリフィスス編『世界の知性が語る21世紀』(共訳、岩波書店)、
    著書に『HOME & AWAY』、『RIGHT STEPS!』(共にIAN社)ほかがある。


    ■目次




    『ダーウィンと家族の絆』目次

    家族と友人リスト――9

    まえがき――19

    第1章 金剛インコの館――23
    エマ・ウェッジウッドとの結婚/ロンドンの新居/第一子ウイリーの誕生(一八三九年
    十二月)/持病のはじまり/長女アニーの誕生(一八四一年三月)/一八四一年五月の
    ウェッジウッド屋敷/子どもを溺愛
    第2章 翼竜のパイ――49
    〃種の理論〃への道のり/『自然神学』/地質学がつきつけた『自然神学』への疑義/
    『自然哲学』/セジウィックの調査旅行に同行/ビーグル号の旅/ブラジルの黒人奴隷
    /ティエラ・デル・フエゴの未開人/アイデアを書き留めた六冊のノート/ワーズワース
    の詩と科学/チンパンジーのトミー/オランウータンのジェニー/英国地質学会の書記
    に/「われわれは共通の祖先をもつのではないか」/動物園でジェニーを見る

    第3章 赤ん坊の自然史学――93
    記憶と感情の考察/聖書の〃歴史的記述〃への疑問/人間の道徳観は「神の意志の
    表れ」ではない/動物にも好き嫌いはあるのか/「自然淘汰」がひらめく/良心は
    「遺伝する総合的な情念」/「愛情」が鍵を握っている/聖書への疑念をエマに打
    ち明ける/信仰あつき婚約者エマの悩み/道徳的感情とは/信仰に関する夫婦間の
    「辛い溝」/赤ん坊ウィリーの感覚や反応を観察/長女アニーの観察/肖像画から
    肖像写真へ

    第4章 幼いクロコダイル――131
    郊外に新しい家を探す/そこはかつて恐竜が生きていた地/ウェッジウッド工場近
    くで労働者の暴動が発生/ダウンハウスへ引っ越す/迷子事件/新居の改築/八人
    の子供と召使たちに囲まれた生活/乳母ブロディ/執事パースロー/切り絵と童謡
    /植物学者フッカーとの出会い/進化に関する試論/苦痛はなぜ存在するのか/種
    に関する理論を書き終える/アニーとウィリーの読み書きの勉強/温厚な長男、快
    活な長女、心配性の次女/子供に鷹揚な妻エマ/子供たちの良き遊び相手ダーウィ
    ン/動物の本

    第5章 ギャロップの調べ――175
    〃暴力的な昼食会〃/部屋じゅうを飛び回る子供たち/家畜たちと遊び植物を育て
    る/ラボック家の長男ジョン/サンドウォークの散策/父親ダーウィンと子供たち
    の世界/ダーウィンの兄エラズマス/植物学者ジョーゼフ・フッカー/当時の新聞、
    雑誌、単行本/アメリカへの移住も視野に入れる/ダーウィン家の教育観/ウェッ
    ジウッド家の教育観/ルソー思想で教育されたダーウィンと妻エマ/『光学の話』
    /娘たちの家庭教師ミス・ソーリー/ミス・ソーリーとダーウィンの植物学研究/
    アニーの針仕事と習字/アニーの文具箱の中身/残されたアニーの手紙

    第6章 信仰、クリケット、フジツボ――223
    村人はダーウィンに親しみを込めて挨拶した/動物虐待で訴訟を起こしたダーウィ
    ン/妻エマの確固たる信仰/教会における信仰の不一致/村の反国教徒/ダーウィ
    ンのキリスト教への不信/不信心家として逝ったダーウィンの父親/キリスト教信
    仰を捨てる/フジツボの研究/ダーウィンの実験道具/〃神の設計図〃でなく「共
    通の祖先」/雌雄同体から雄と雌への進化/フジツボの変態と生物進化

    第7章 遠い世界――257
    ウェッジウッド家の長男ジョーの家族/二男ヘンズリーと妻ファニーの華麗な交友
    /工場を継いだ末弟フランク/製陶工場で働く子供たち/持病に悩むダーウィン/
    モールヴァンでの水療法/モールヴァンの治療に集まる著名人/モールヴァンに向
    かうダーウィン一家/ガリー医師の治療/モールヴァンでの優雅な生活/健康を回
    復したダーウィン

    第8章 子供のむずかり――285
    八人目の子供レオナードの誕生/アニーが子供たちのリーダーになる/アニーの発
    病――一八五〇年六月末/アニーを海水浴に出す/ロンドンの医師の診察を受ける
    /アニーの治療をガリー医師に委ねる/ダーウィンによる愛娘アニーの観察記録/
    子供のむずかりは永遠の悪なのか

    第9章 モールヴァンでの別れ――311
    アニーの治療のために再びモールヴァンへ/万国博前のロンドン/幸せな日々/ア
    ニー、激しく嘔吐/動揺するダーウィン/やつれるアニー/出産を控えた妻エマへ
    の手紙/アニーの尿を抜いてもらう/「かわいそうなぼくの幼いアニー」/アニー、
    永遠の眠りに

    第10章 喪失と思い出――345
    妻のためにダウンハウスに戻る/アニーの弔い/もとと同じ日々、新たな生活/救
    いとしての死/神の罰としての死/救いとならない死/死はすべての終わりか/自
    然の出来事としての死/信仰心に差のある夫婦のため……/ダーウィンにとっての
    神とは/エマによるアニーの覚え書き/アニーの遺品/ダーウィンの記憶/アニー
    をめぐるダーウィンの手記
    第11章 死病――383
    アニーの病気は何だったのか/十九世紀半ばの肺病/子供の肺病は死刑判決に等し
    かった/ディケンズが描いた肺病/結核で苦しむ若者たち/アニーが肺病である懸
    念/病気と遺伝/予防医学の芽生え/死因の六分の一が結核だった/病原体と共進


    第12章 種の起源――407
    種の理論に没頭するダーウィン/再び肖像写真の撮影/アニーの死に動揺する妹エ
    ティ/封印されたアニーの想い出/意識と阿片中毒者/チック症/家族以外にもら
    した愛娘アニーへの想い/愛娘アニーの死がダーウィンの背中を押した/自然淘汰
    /ダウン症だった最後の子供の死/子供の死が『種の起源』を変えた/自然の豊か
    さへの驚き

    第13章 オランウータンまで徹底的に行く――443
    類人猿とヒト/ヒトが類人猿と親戚であることへの嫌悪感/ライエルの葛藤/ライ
    エルの本心/好意的な反応もあった/ウォレスの主張/ダーウィンの沈黙/有機論

    第14章 神の刃――467
    神の配剤はどこにあるか/病気に対する強迫観念/フッカーへの手紙も書けないほ
    どに/ひどい気分の落ち込み/献身的な妻エマの信仰/ダーウィンの既存宗教への
    不信/超自然現象の信奉者たち

    第15章 人間の由来――497
    人類の起源に関する試論/人間と動物の心の比較/「親子の愛情は自然淘汰によっ
    て発達した」/共感のなせるわざ/道徳心の起源/道徳心と愛情も悲劇をもたらす
    /「社会ダーウィニズム」への反論/精神科医モーズリーの議論/感情と行動/心
    と体の不思議なつながり/心理学と人類進化/心の起源とは

    第16章 つましきものへのこだわり――529
    回想録を執筆/「苦痛」は意味があるのか/初孫誕生/猿の姿をしたダーウィン/
    「心がからからに乾いてしまった」/湖水地方への旅/ファーブル『昆虫記』/ミ
    ミズの研究/神は存在するか/兄エラズマスの死/人間の脳にも限界がある/悲喜
    こもごもの来訪者/狭心症の発作/「死ぬことはちっとも怖くないよ」/妻エマの
    「宝の包み」/ケンブリッジで暮らした晩年のエマ/ダウンハウスの想い出/エマ
    もダウンハウスで他界

    解題――進化学を育んだ家――571

    原註――611
    図版出典一覧――613

    索引――627



    ■プロローグ



    まえがき

     小箱の中の淡黄色のリボンには、小さなガラスビーズが縫いつけてある。 鵞鳥の羽ペンの先には、乾いたインクがこびりつき、封蝋には、 ロウソクの火であぶられて溶けた跡がある。リボンと羽ペンの上には、 一束の褐色の毛髪を包んだ紙が乗っており、その紙には、 「一八五一年四月二三日」という日付が読み取れる。 そして、ポケットブックから破り取られた紙片には墓地の地図が描かれ、 「モールヴァンのアニー・ダーウィンの墓」とある。  アニーの小箱とは、アニーが大切にしていた文具箱で、 そこにはアニー所有の小物が収められている。アニーとは、 チャールズ・ダーウィンとその妻エマの、一〇歳で夭折した長女である。 その死に際して、チャールズは娘の「思い出」を書き残し、 エマは思い出のよすがとして、その小箱を手元に残した。 そしてその小箱は、ダーウィン夫妻の曾孫にあたる私の父へと伝えられた。  ある日私は、家族のガラクタ入れを漁っていて、その小箱を見つけた。 チャールズの乱雑な走り書きは、私の胸を打った。 「アン」と題されたその書き付けには、最後の数カ月間、 アニーが日夜どのような気持ちだったかが書かれてあった。 気分のよい日もしばしばだったが、気分の悪い日については、 「夜遅く、疲れた様子で泣く」「早朝、泣く」「朝、具合が悪い」 といった記述がある。来る日も来る日も、夜中はまんじりともせずに娘を見守る チャールズの気持ちを推し量ると、たまらない気持ちになる。  チャールズとエマのノートや手紙にも、アニーの生涯の軌跡が見つかった。 本書において私は、断片的な情報からアニーの子供時代を復元し、アニーの死後、 チャールズとエマの気持ちやものの考え方がどのように移ろっていったかを、 詳細に辿るつもりである。アニーが生きていた短い期間をはさんで、 それ以前と以後とで、人間の本性に関するチャールズの考え方がどう変わったか についても、関連性を見つけ出すつもりでいる。チャールズは、 愛娘に寄せる自分の感情から、永続する愛情の力、苦痛が問いかけるパラドックス、 記憶がもつ価値、人間の理解の限界などについて、多くを学んでいたのである。  私が展開する説明の核をなしているのは、 チャールズの生活とその科学は完全に一体化していたという確信である。 自宅で研究できる対象を自宅で研究し、四六時中、妻と子供と召使いたちと過ごし、 もっとも広い意味で科学とは知識であり理解することだった時代に生き、 人間であることの根幹に関わる深遠な難問に取り組んでいたチャールズにとって、 自然界に関する思索と、自分にとって死ぬまで心を離れなかった重要な感情や想念とを 切り離して考えることなど、できない相談だったはずなのだ。  アニーとその思い出が複雑に織りなす綾織物を、丹念に解きほぐしてみたい。                                       著者

    ■解題――進化学を育んだ家



     現在の地球に生息する多様な生物は、太古の昔に起源した原始的な生物体を共 通の祖先とし、有為転変を経てその多様性を増加させてきた系統の末裔である。 この考え方が進化論であり、事実としての生物の変遷を進化という。英語では、 いずれの概念もエヴォリューションと呼ばれる。チャールズ・ダーウィン(一八 〇九〜八二)は「進化論の父」とか「創始者」と呼ばれることがあるが、それは 正しくない。生物は変遷してきたという進化論的な考え方を最初に唱えたのが彼 というわけではないからだ。  では、チャールズ・ダーウィンは何をしたか。ダーウィンは、進化は事実であ ることを周知させ、進化論を科学すなわち進化学として認識させたのだ。生物進 化のメカニズムとして自然淘汰説を提唱し、動物の行動や形態の多様性を説明す るためには性淘汰説を提唱した。つまり彼は、むしろ「進化学の父」と呼ばれる べき存在なのである。しかもその研究テーマは多岐にわたっており、有性生殖の 進化、動物行動の進化、人類の起源、育種学、生態学、地学、今で言う進化心理 学など、広い意味での現代進化生物学のすべての領域をカバーし、しかもそれぞ れの分野の枢要なテーマを先取りしていた。  なぜそれほどマルチな活動ができたのだろうか。彼は、大学などに席を持つこ ともなく、終生の在宅研究者であったことを考えると、その疑問はますます募る。  その答えは、ダーウィンの旺盛な知的好奇心と、彼を取り巻く知的サークルの 存在に求められるかもしれない。ダーウィンは、希代の文通魔だった。一八四二 年、ロンドンのマンションからその郊外に位置するダウンに転居して隠棲した後 も、四〇年にわたって世界中の有名無名の人物たちを相手に、手紙による情報収 集をしていたのだ。なにしろ、一九七四年に開始されたダーウィンの全書簡刊行 を目論む一大プロジェクトは、予定されている全三〇巻のうちの一三巻目(一八 六五年分)がようやく刊行されたところである。むろん、ロンドンの知的サーク ルとも緊密に連絡を取り合っていた。そして自宅であるダウンハウスに迎える友 人知人も多かった。  彼はロンドンの喧噪からは逃れたものの、決して孤立した存在ではなかったの である。そして、青年時代に薫陶を受けた天文学者ジョン・ハーシェルの教えを 生かすべく、研究に勤しんだ。それは、天体の運行を司る自然法則を解き明かし たニュートンのように、自然史学(ナチュラル・ヒストリー)の自然法則を解明 したいという熱い思いだったはずである。  ダウンは今もなお、なだらかな丘陵にのどかな田園風景が広がる静かな村であ る。しかし、そこで暮らしたダーウィンの四〇年間の生活は、決して穏やかな日 々ばかりではなかった。ひどい吐き気や腫れ物などの体調不良に始終悩まされて いたほか、一〇人(!)の子供のうち三人に先立たれている。  ダーウィンの体調不良の原因に関しては諸説あるが、階級社会の安寧秩序を願 う裕福な友人知人の多くと、社会秩序の根幹を揺るがしかねない進化理論の構築 に密かに打ち込むわが身自身との板挟み状態にある不安も、大きかったと思われ る。ダーウィンはひどい体調不良に悩むあまり、科学的根拠に乏しい水療法に走 った時期もあった(とは言っても、当時の医学に科学的根拠など望むべくもなか ったのだが)。  三人の子供の死のなかでも、ダーウィンにもっとも大きな衝撃を与えたのは、 一〇歳に成長していた長女アニー(本名はアン)の死だった(一八五一年)。ア ニーはダーウィンの秘蔵っ子で、アニーも父親が大好きだったのだ。サンドウォ ークの散歩と午後の休憩時間以外は研究室にこもり、フジツボの研究三昧という 生活を送るダーウィンの傍らには、いつもアニーがいた。アニーの突然の発病と けなげな闘病生活、そして悲しい別れは、ダーウィンの世界観を決定的に変えた 可能性がある。最愛の無垢な魂が無慈悲にも奪い去られた瞬間は、神の慈悲など 存在しないことを確信した瞬間でもあった。そしてそれは、来世での再会を確信 する信仰心厚い妻エマとの宗教心をめぐる溝を、よりいっそう大きくした。  アニーは決して天罰を受けるような子供ではなかった。アニーの死は、自然の 気まぐれなのだ。そう考えることで心の整理をつけたダーウィンは、自然界が気 まぐれに容赦なく振るう大鉈、すなわち自然淘汰の原理を、身をもって実感した のである。そして、アニーの原因不明の病気に、自らの病弱体質の遺伝と従姉弟 婚(妻のエマは従姉にあたる)の悪影響を疑い、自らをさいなみもした。  アニーの死を受け入れるために、ダーウィンは愛娘追悼の気持ちを文章にした ためた。一方、エマは、アニーの思い出の品と一束の遺髪を、娘の文箱に収め、 人目に付かない場所にしまい込んだ。それ以後、夫婦のあいだでアニーの名が出 ることはなかったが、亡き娘を思う気持ちは同じだった。  アニーの死後、およそ一五〇年を経て、アニーの文箱(アニーズ・ボックス) は再発見された。一九九六年、ダーウィンの玄孫すなわち孫の孫にあたる本書の 著者、ランドル・ケインズさんが、実家の物置から発掘したのである。  ケインズさんは、高祖父にあたるチャールズ・ダーウィンの書き付けとアニー の文箱を初めて見た瞬間、奇妙な感情にとらわれたという。自分がかのダーウィ ンの末裔であることを、まさに実感した瞬間だったのだろう。そして娘の最期を 看取ったダーウィンの看病日誌を読み、アニーの文箱を眺めているうちに、この 文箱にはすごいドラマが秘められていると悟ったという。それから三年間、暇を 見つけては資料調べ、親戚縁者への聞き取り、現地調査などを積み重ねて書き上 げたのが、本書『ダーウィンと家族の絆』である。本書をお読みいただければわ かるが、調査はダーウィン親子の療養先の国勢調査票や当時の教会の説教集、ダ ーウィン夫妻が読んでいたとおぼしき小説、詩集、歴史書、雑誌、新聞、そして アニーの死因の究明などにまで及んでいる。  本書は、ダーウィンが二九歳で一歳年上の従姉エマとの結婚を決意するところ から始まっている。ビーグル号の航海から帰還してロンドンの知的サークルに颯 爽とデビューし、ほぼ二年が経過していた時期である。『ビーグル号航海記』も 出版して好評を博し、傍目にはまさに順風満帆の日々だった。しかしその胸の内 にはすでに、異説である進化理論の萌芽があった。それは、親しく接し、温かく 迎え入れられていたサークルを形成する人々にとっては、まさに邪説である。そ のせいでダーウィンは、優雅な独身貴族としての生活を謳歌しつつも、いつか四 面楚歌の身になるのではないかという漠とした不安にさいなまれていた。  その意味で、情愛細やかなエマとの結婚は、一種の逃避だったと言えるかもし れない。しかしそれは、邪説を公表することで愛する家族を不幸な境遇に陥れて はいけないという、新たな脅迫観念を背負い込むことでもあった。とんでもない 皮肉である。したがって、ダーウィンがそれ以後に発展させた革命的な進化理論 と家族の絆とを分離して考えることは、不可能なことなのだ。  ダーウィンの生涯に関してはすでに、デズモンドとムーアの共著『ダーウィン』 (工作舎、一九九九)という決定版の伝記を邦訳済みである。しかし、在宅研究 者だったダーウィンの家庭人としての内面に深く切り込んだ本書は、従来のダー ウィン 研 究 からは抜け落ちていた部分を補って余りある画期的な評伝なのであ る。  ちなみに原著の書名は Annie's Box : Charles Darwin, his Daughter and Human Evolution (Forth Estate, London, 2001) だが、アメリカ版では Annie's Boxは省かれ、英国版の副題だけが書名として使われている。  著者のランドル・ケインズさんは、チャールズ・ダーウィンの二男ジョージ (一八四五〜一九一二、ケンブリッジ大学の天文学教授となった)の二女マーガ レット(一八九〇〜一九七五)の孫にあたる。本文中にもあるが、ジョージはア メリカ生まれのモード・デュ・ピュイ(一八六一〜一九四七)と結婚し、二男二 女をもうけた。長女グウェンドレン(一八八五〜一九五七)は美術学校で出会っ たフランス人画家のジャック・ラヴェラ(一八八五〜一九二五)と結婚。四〇歳 で夫と死別したが、画才と文才を生かして創作にあたった。グウェン・ラヴェラ 名義で少女時代の思い出を描いた『思い出のケンブリッジ――ダーウィン家のこ どもたち』(山内玲子訳、秀文インターナショナル)などの作品がある。妹のマ ーガレットも、A House by the River: Newnham Grange to Darwin College (Darwin College, 1976)という回想記を書いているようだ(この書名にある 「川」とはケンブリッジを流れるカム川のことで、そのほとりに建つニューナム グレンジという館がジョージ・ダーウィン家であり、その後、ケンブリッジ大学 ダーウィン・カレッジの建物となった)。  マーガレットは、外科医のジェフリー・ケインズ(一八八七〜一九八二)と結 婚。ジェフリーは、乳ガンの乳房温存手術の創始者でもある高名な医学者だった ようだ。彼はまた、かの有名な経済学者ジョン・メイナード・ケインズの弟でも ある。『ケンブリッジの思い出』の訳者山内玲子さんの訳者あとがきによれば、 ジェフリーは文学と美術に対する造詣も深く、ブレイクと書誌学の研究者でもあ ったという。  ランドルさんの父親にあたるリチャード・ダーウィン・ケインズさん(一九一九 〜)はマーガレットとジェフリー夫妻の長男で、生理学を専門とするケンブリッ ジ大学の著名な名誉教授であり、チャールズ・ダーウィン関連の著書や編著も何 冊か出版している。つまりランドルさんは、チャールズ・ダーウィンの孫の孫 (玄孫)であると同時に、経済学者ケインズの甥の子供(甥孫)という輝かしい 家系の生まれであることになる。  ランドルさんは、一九四八年生まれ。オックスフォード大学で人類学を学んだ 後、英国政府(保健省国立保健サービス)の役人となり、ロンドンで暮らしてい る。子供時代はクモのコレクターだったというが、チャールズ・ダーウィンのよ うな財産には恵まれなかったため役人になったと、BBCの番組でのインタビュ ーで答えている。歴史的建造物に興味があり、ダウンハウスをダーウィンが暮ら していた当時の姿に復元する作業にも協力している。また現在は、ダーウィンの 庭とその植物学研究に関する本を執筆中である。  ダウンハウスは、ながらく大英自然史博物館の管理下にあったが、予算不足の ため荒れてしまい、一時は保存が危ぶまれた時期もあった。アメリカの進化学者 でサイエンスライターとしても名高いスティーヴン・ジェイ・グールドが保存運 動支援のための講演に駆けつけるなど世界的な支援活動が巻き起こった結果、英 国ナショナルトラストが管理する歴史的建物として修復保存が決まった。ケイン ズさんの協力もあり、壁紙なども当時のものと同じかもっとも近いと思われるも のに復元され、現在は美しい姿によみがえっている。  ダーウィンの研究室(書斎)も当時のままに再現されており、まさにフジツボ の解剖途中で席を空けたところ、といった風情である(かつては研究室に置かれ たテリア犬の製に虫がわいたりして、惨めな有様だったという)。実験用の温室 も整備され、中ではラン、食虫植物、蔓植物など、ダーウィン自身が研究材料と した植物が栽培されている。また、ダーウィンとアニーが散歩したサンドウォー クの散歩も楽しめる。かつては子供部屋や寝室だった二階は展示室と学習室に改 造され、子供たちが遺伝と進化について学べるスペースとなっている。  ダウンハウスはロンドンの中心部から二五キロほどの距離にあり、電車とバス を乗り継いで一時間ほどで行ける。ダウンハウスからダウン村の中心部までは徒 歩で一五分ほどで、村の中心には石造りの教会と二軒のパブが今もある。  ダーウィンの亡骸は、その遺志に反してロンドンにあるウェストミンスター大 聖堂の、ニュートンの斜め前に設えられた墓石の下で眠っている(ダーウィン自 身は、ダウン村の教会墓地に埋葬されることを望んでいた)。ダウンの教会墓地 には、エマ(一八九六年一〇月二日没)と兄エラズマス(一八八一年八月二六日 没)の墓がある(ただし新しい御影石に作り替えられている)。そして同じ墓地 の片隅には、ダーウィンの忠僕パースロー(一八九八年一〇月一四日八六歳にて没)の墓も見つかる。  アニーの文箱は、二〇〇一年五月一日、その持ち主だったアニーの死後一五〇 年目にダウンハウスへと戻り、その年の一〇月七日まで一般公開された。そして 現在の持ち主であるサー・リチャード・ケインズさん(著者ランドルさんの父親) から英国ナショナルトラストに永久貸与され、今もダウンハウスに保管されてい る。  ページ数の多さに本書の翻訳を一瞬ためらったぼくの背中を押したのは、白日 社の松尾義之さんの良書出版にかける熱い思いだった。その松尾さんを紹介して くださったのは、大著『ダーウィン』のゴッドマザーでもある工作舎の十川治江 社長である。また、松下展子さんの協力がなければ、本書は未だに日の目を見て いなかったにちがいない。展子さんを紹介してくださった国際貢献大学校の堤一 純教授(堤デンタルクリニック院長)、ケインズさんとの仲を取り持ってくれた ジム・ムーアさん等、友人知人の絆で本書は生まれた。この場を借りてみなさん に感謝したい。   二〇〇三年十一月                                渡辺 政隆






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