森のきのこ採り――すぐそばにあるアナザー・ワールド

●小林路子 著 ●定価(本体1800円+税)  

きのこ画家の「人生の楽しみ方」


フェアリー・リング(妖精の輪)の
真ん中に立つと、幸せになれる!
世界的きのこ画家の
「人生の楽しみ方」



小林路子 著   著者紹介
森のきのこ採り   プロローグ
     目次
     エピローグ
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フェアリー・リング(妖精の輪)の
真ん中に立つと、幸せになれる!
世界的きのこ画家の。
「人生の楽しみ方」


  • 四六判 並製
  • 225ページ
  • 定価(本体1800円+税)

  • ■著者紹介

    小林路子(こばやし みちこ)

    著者略歴 東京・池上生まれ。1988年、エッセイ集『キノコの不思議』(森毅編 光文社刊) で初めてきのこの挿絵を描いて以来、きのこにとり憑かれる。 現在、日本で(おそらく)唯一の女流きのこ画家。 これまでに描いたきのこは、約800点。 繊細さと迫力を合わせもつその筆致は、菌類画の新しい領域をひらいたものとして評価されている。 著作に、エッセイ『なにがなんでも!きのこが好き』(日本経済新聞社)、 画集『きのこ』(山と渓谷社)、絵本『森のきのこ』(岩崎書店)。


    ■目次




    『森のきのこ採り』目次

    プロローグ――きのこの森に迷い込んで  5

    第一章 春 9
    ベニチャワンタケ――残雪の紅一点  10 ツバキキンカクチャワンタケ――椿と共に何万年  32 アミガサタケ――ヨーロッパで人気の高級品  45
    第二章 夏  57
    ドクヤマドリ――新発見の猛毒きのこ  58 アカヤマドリ――迫力! 巨大きのこの行列  80 ツキヨタケ――怪しい淡い光  94
    第三章 秋  107
    マツタケ――日本人にしかわからない? 秋の香  108 ナラタケ――木をたおす細い糸  132
    第四章 晩秋から冬  153
    シモフリシメジ――これを見つけられれば、一人前  154 ムラサキシメジ――紫の妖精の輪  166 キヌメリガサ――シーズンを締めくくる可憐な黄色  178 エノキタケ――幻の雪かぶりきのこ  187
    おまけ 野生きのこのかんたん料理レシピ  203

    エピローグ――今日も、きのこが森で待っている  223




    ■プロローグ



    プロローグ きのこの森に迷い込んで

     きのこの絵を描くようになって、いちばん困ったのは、モデルが自由に手に入らないということだった。 きのこの前に私が描いていたのは、幻想的な心象風景といったような絵である。 それには、とくにモデルなど要らなかった。  毎日、毎日、部屋にたてこもって瞑想やら妄想にふけり、 ひたすら自分の頭に浮かぶイメージを追い求める……。 やがて私は、月明りの中で、ぼんやりとした像を追いかけるようなその作業に疲れてきた。 自分のとらえたイメージが、確かに存在するものの影なのか、 妄想が呼び出した幽霊みたいなものなのか、はっきりしなくなってきたのだ。  そんな時に、きのこと出会ったのである。 これはもう、確かに存在すること間違いなしの生物だ。 しかも、幻想的なこと、この上ない。そして、つかんだと思ったとたんに消えてしまうイメージではなく、 そこに在るものを描けばいいのだ。「なんてったって、楽!」と私は思った。 心象風景への思い入れはあっという間に霧散し、 それまで属していたさる美術団体もさっさとやめた。  だが世の中に、“楽なだけ”のうまい話はなかったのである。 私はすぐに気づいた。野生のきのこを描こうと思ったら、 なにがなんでも、きのこ採りに行かねばならないのだ。そして、 一度やってみればわかるが、この、きのこ採りというのがなかなかむずかしいものなのである。  きのこ採りとは、そも、何であろうか? それは、きのこを採りにどこかへ行くことだ。 すごく単純だ。そう、登山とは山へ登ること。釣りとは魚を釣ること。 人生とは生きることである。でも、どれも単純そうで、意外にむずかしいではないか。  まず、“きのこ採り”と“きのこ狩り”は違うということだ。 きのこ狩りは、間違いなく食べられるきのこ、できたら美味しいきのこをとる(収穫する) のが主目的である。季節も、ほぼ秋に限定される。野山で、気持ちのいい秋の一日を楽しみ、 皆できのこ鍋を囲む。ちょっと奮発すれば、 マツタケをいっぱい食べさせてくれる観光コースもある。  だが、きのこ採りには、そのような楽しい一日になる保証はなにもない。 きのこ採りに行っても、きのこがあるとは限らない。 雨が降っても、台風でもきのこ採りは決行されるし、 食べられるきのこだけを採りにいくわけでもない。それに、 きのこは四季を通じて何かしら出ているから、きのこ採りには、一年中休みがないのである。 つまり、きのこ採りには、遊びとか行楽というより、むしろ、修業や求道、 さらには苦行といったものに近い要素があるのだ。  だから、正しいきのこ採りを目指す人は、常に日頃の修練を怠らない。 競馬道を追究する人が、平日もスポーツ紙の競馬欄を熟読し、 囲碁棋士が食事中も頭の中で棋譜を検討するように、一年中、 飽くことなくきのこ図鑑をめくる。そして、ある時は釣り師のように辛抱強く待ち、 ある時は登山家のようにより高いところを目指す。 ――きのこ採りには、人生を賭けるだけの“何か”がある、と私は確信したのである。  絵のモデルになるきのこを手に入れるためには、きのこ採りに行くしかない。 私は十数年前から、一年のスケジュールをきのこ採り中心にセットした。 早春から初冬まできのこを追いかけて、ハッと気づくと、 部屋にはビンボー神様が定住し、私の“仙人”(雲、カスミしか食えない)という綽名は 不動のものになっていた。だが、きのこのおかげで、 なんとなく学んだこともあるような気がする。  私は以前、自分の頭の中を歩き回ってイメージ・ハンティングをしていた。 今は自然の中を歩き回ってきのこ採りをしている。それは、もしかしたら同じことなのかもしれない。 だが、一つだけ確実なのは、森できのこを探すほうがずっと楽しい! ということである。 私は、いつも幸せなきのこ採りだった。これからもそうだと思う。  きのこは、一年中、何かしら生えている。春から真冬までくり広げられる、 知られざるきのこ採り生活の至福(と悲惨)を、赤裸々にお伝えしよう。

    ■あとがき



    エピローグ 今日も、きのこが森で待っている

     きのこに取り憑かれて十数年。初めは、「きのこ、描いてます」と言うのにためらいがあった。 変人奇人と思われるのでは……。でも、この頃はそれもどうでもよくなった。  山歩きと宴会に明け暮れる、きのこ採りの日々。描きたいきのこは数限りない。 東にジコボウが出たと聞けば新幹線で駆けつけ、北にチャワンタケありと聞けば 飛行機で飛んで行き、雨にも負けず、風にも負けず――自分でも出所のわからない困った情熱……。  1年の4分の3を、きのこを描くために使ってきた。そして今まで描いた絵が800点あまり。 種類にして300種弱。だが、日本のきのこは、5000、6000種とも言われる。 そのすべてが絵になるきのこでもないが、その数を思うと、気が遠くなる。  そんな小さな仕事だが、今まで日本では、きのこだけを専門に描いた人はあまりいないらしい。 「菌は貧に通ず」と、ある菌類学の大先生は書いている。別の学者は、学生の時、 「将来、菌類学をやりたい」と先生に言ったら「そういうことをやると、 職もないし、貧乏まちがいないからやめたほうがいい」と言われた。 まして、きのこの絵なんか描いて、生計が立つわけがないのである。  だから、私は初めからきのこの絵は売らないことにした。ほんとうは“売らない”のではなく “売れない”と言ったほうが正しいが、「売らない!」と思っているほうが気分がいい。 売らないでどうするかというと、私が死んだ時、火葬の焚きつけにするのである。 エジプトのファラオは、金銀財宝と共にあの世へ旅立った。私は菌の絵と共にあの世へ旅立つ。豪華だ!  しかし三年ほど前、思いがけず、イギリスの王立キュー植物園(Royal Botanic  Gardens, Kew)から、「火葬に使うなら、うちで引き受ける」 という話があった。私は考えた。日本のきのこの絵が、永久に外国へ行ってしまうのは寂しい。 でも、日本にはきのこの絵を欲しがるところなどなさそうだし、 火葬の焚きつけは新聞紙でも間に合う……。  そういうわけで、きのこの絵をキュー植物園に寄贈することにした。  キューガーデンは、世界的に有名な植物園である。イギリスが「日の沈まぬ帝国」 だった頃から、世界中のあらゆる植物を集めてきて、栽培、研究を続けてきた。 菌類の研究でも知られ、広大な敷地内には、近代的な設備の充実した菌類研究館がある。  もう一つ、キューガーデンが誇るもの、それが膨大な植物画のコレクションだ。 英国はもちろん世界中から集められたボタニカル・アートや菌類の精密画が、 専用の建物に、大事に、大事に保管されている。一四世紀に作られた、 おそらく世界で初めての押し花による植物図鑑もある。 そして今でも、キューガーデンから委託された名誉キュレイター(館員)たちは、 世界各地で、所蔵すべき作品を探し続けている。  私は自分の画を寄贈するために、2000年、2001年と二度、彼の地を訪れたが、 時は5月、キューガーデンの森にきのこは見つけられなかった。 一般的に言って、アングロ・サクソンは野生きのこを食べることには臆病のようで、 きのこ採り人口はそれほど多くないという。しかし書店には、美しい写真、 イラスト付きの、りっぱなきのこ図鑑が並んでいる。 イギリス博物学の伝統ということなのだろうか。  日本は、量、種類ともに、きのこに恵まれた国である。 だが、日本の大学には菌類専門の講座もないし、それに、 私の絵を大事にとっておいてくれそうな博物館もない。 こんなことでは、日本の未来は暗い……かも。  菌類は、植物や動物の遺体を食べて土に戻してくれる。いわば自然の掃除屋さん、 もう少し格好よく言えば「分解者」だ。自然界も人間社会も、 リサイクルすることで続いてきた。  理屈はともかく、みなさん、一度、きのこ採りに行ってみませんか?  最後に、きのこのようなこの本を出版してくださった白日社の松尾義之氏、 鳴瀬久夫氏、そして、こだわりの編集に徹していただいた白石厚郎氏に 心からお礼申しあげます。 2003年8月                 小林路子






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