手入れ文化と日本

●養老孟司 著 ●定価(本体1500円+税)  

日本を読み解くキーワードが「手入れ文化」だ。この思想は必ず復活する!


ああすれば、こうなる」という思想に変わったのが、
日本の都市化である。そのなかで環境問題が生じ、少子化
、 教育問題が生じている。子どもも環境も、「ああすれば、こうなる」
で済むものではない。それがわかっているから「手入れ」 だった。
この思想はかならず復活する。


養老孟司 著   著者紹介
手入れ文化と日本   
     目次
     あとがき
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ああすれば、こうなる」という思想に変わったのが、
日本の都市化である。そのなかで環境問題が生じ、少子化、
教育問題が生じている。子どもも環境も、「ああすれば、こうなる」
で済むものではない。それがわかっているから「手入れ」 だった。
この思想はかならず復活する。



  • 四六判 上製
  • 224ページ
  • 定価(本体1500円+税)

  • ■著者紹介

    養老孟司(ようろう・たけし)

    
    養老孟司(ようろう・たけし)
    北里大学教授。専門は解剖学。一九三七年生まれ。
    一九六二年東京大学医学部卒業。九五年に東京大学医学部教授を退官。
    『唯脳論』(青土社)、『臨床哲学』(哲学書房)、
    『日本人の身体観の歴史』(法蔵館)などを通し、
    学問や思想に大きな影響力を与えつづけている。
    近著に『脳と自然と日本』(白日社)、『人間科学』(筑摩書房)、
    『からだを読む』(ちくま新書)。

    ■目次




    子どもと現代社会…………………………5 子どもについての最近の統計で一番驚いたのは、
    テレビを一日何時間見ているかというもので、平均で五時間半でした。
    テレビ世代と私の世代はどこが違うのか……

    子育ての自転車操業…………………………33
    私が授業で最初にする講義は、知るということ、
    知るとは何かということです。今の若い人は、
    「自己」と「知ること」が別になっていることに気がついたからです……

    心とからだ…………………………59
    西行の『山家集』から、「心」と「からだ」の言葉が入った歌を
    拾い出す作業をしたことがあります。
    当時の人々が心という言葉をどう使っていたかを知るためです……

    現代の学生を解剖する…………………………101
    知るということは、自分が変わることです。
    それ以前の自分が部分的にせよ死んで生まれ変わる。
    「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」は、
    そのことを言っているのだと思います……

    脳と表現…………………………129
    いま皆さんがお喋りしているのが表現です。
    表現では女性が有利で、一対一になりますと絶対に私はかなわない。
    言い負けてしまう。「言葉」は典型的な表現です……

    手入れ文化と日本…………………………179
    戦後の日本というのは、イデオロギーなしに
    急速に都市化が進んだ最初の社会ではないかという気がします。
    全国どこに行っても町がないところがない……

    現代と共同体――田舎と都会…………………………241
    解剖の主任教授をしているときに、解剖体慰霊祭の問題が起きました。
    東大では谷中の天王寺で明治以来やっていますが、
    「問題だ」という投書がきたのです……

    日常生活の中の死の意味…………………………257
    日常に死が失われたということは、
    ある意味ではとても良い社会です。しかし裏返すと、
    その社会を作っている人間の理解力が減ってくることも意味します……


    あとがき…………………………277
    初出一覧…………………………281





    
    
    

    ■あとがき



     あとがき


     ゲラを読みながら、あちこちで、よくもいろいろしゃべったものだと思う。
     誰も信じないかもしれないが、小さいときは、私は口をきかなかった。
    おかげで母親は私を知恵遅れだと思い、専門家のところに連れていき、
    知能検査を受けさせた。検査の問題が面白かったから、
    いまでもそのことを覚えている。
     ひょっとすると、こういう話はいやみに聞こえるかもしれない。
    でも本当の話である。なぜ話さなかったかというなら、
    大人は子どもがものがわかっていないという前提で話しかける。
    幼いときから、それが気に入らなかったからであろう。
    幸田文さんの随筆を読めばわかる。子どもは多くのことを理解している。
    しかし表現ができないだけなのである。
     講演にせよ、原稿を書くにせよ、私が考えを表現する専門家のようになったのは、
    こうした幼児体験がもとかもしれない。いまではそう思うようになった。
     私が話したり、書いたりしていることは、だれでも考えるような、
    当たり前のことだ。先輩にそういわれたことがある。
    その先輩は、こう付け加えた。ただふつうの人は、そういう表現ができないのだよ。
     そのとおりかもしれないと思う。私は哲学者でもなければ、
    ノーベル賞を貰うような科学者でもない。いわゆる創造性とは縁がない。
    同じ書くにしても、創作活動はしたことがない。
    それなら私とはなにかというなら、虫取りが好きなただの人であろう。
    ただの人が表現を探すと、私の話のようになる。そう思って、
    私の話を読んだり、聞いたりしていただければと、私自身は思っているのである。
     もう一つ、ときにいわれることがある。子どもですな。よくいえば、
    子どもの心を残している、と。もう六十五歳になる老人だから、
    どこが子どもかと思うが、思い当たる節がないでもない。
    捕虫網を持って歩いていたりすると、自分でも恥ずかしいことがある。
    歳を考えなさい。そういう声が聞こえるような気がする。
     そういうところで恥をさらしているから、他のところでさらに恥をさらしても、
    それほど気にならないのかもしれない。だからいまでは、人前で話しをする。
    幼い頃の気持ちを思い出すと、よくも人前で話をしたりすることができるものだと思う。
     さらにそれをまとめて本にする。これで白日社から二冊目だが、
    ゲラのままでしばらく置いておいた。話は本来そのとき限りで済んだはずのものである。
    それが活字になると、いつまでも残ってしまう。そこがなんだか気に入らない。
    「白日のもとに曝す」ということばがあるが、もしかすると、
    この社名の由来はそういうことかもしれない。できれば本人が忘れたいことを、
    こんなに残しやがって。そういう気持ちが多少ともあって、
    手元にゲラを置く時間が長引いた。そうしたら矢の催促である。
    とうとう時間切れで、また本にすることになった。
    『脳と自然と日本』の続きということになる。
     この年齢なら、もう新しいことは考えられないであろう。
    新しいと本人は思ったにしても、そう思う脳自体が、
    もはや信用がおけるようなしろものではない。だいぶ傷んでいるはずである。
     『手入れ文化と日本』について、私は最近よく話題にする。
    手入れが日本の思想だったと私は思うからである。丸山真男氏の
    『日本の思想』には、「日本に思想はない」と書いてあった。
    思想が意識上だけのものなら、「思想はない」かもしれない。
    しかし昼飯をカレーにするか、ラーメンにするか、
    それを決める基準を思想と呼ぶなら、思想のない人はいないし、
    思想のない社会などない。その思想が「ああすれば、こうなる」
    という思想に変わったのが、日本の都市化である。そのなかで環境問題が生じ、
    少子化、教育問題が生じている。子どもも環境も、「ああすれば、こうなる」
    で済むものではない。それがわかっているから「手入れ」だった。
    この思想はかならず復活する。私はそう思っている。
    それが日常というものだからである。その意味で「思想がなかった」わが国は、
    幸福なのかもしれないのである。

     二〇〇二年一〇月

                          養老孟司






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