美のまち 人を潤す

――品格ある地方行政を求めた市長の記録

●登坂秀 著 ●定価(本体1600円+税)  

これは希望を拓く書だ。――柳田邦男(作家)


人口5万の平凡な地方都市を、
20年がかりで品格のある「芸術のまち」に変貌させた
この一人の男の物語に、私は感動した。
上すべりなナショナリズムが喧伝されるこの国で、
本当に故郷を愛し国を愛するとはどういうことかを
語りかけている。これは希望を拓く書だ。 ――柳田邦男(作家)

登坂秀 著   著者紹介
美のまち 人を潤す   はじめに
     目次
     あとがき
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人口5万の平凡な地方都市を、
20年がかりで品格のある「芸術のまち」に変貌させた
この一人の男の物語に、私は感動した。
上すべりなナショナリズムが喧伝されるこの国で、
本当に故郷を愛し国を愛するとはどういうことかを
語りかけている。これは希望を拓く書だ。 ――柳田邦男(作家)


  • 四六判 上製
  • 218ページ
  • 定価(本体1600円+税)

  • ■著者紹介

    登坂秀(とさか・しげる)

    
    1923年群馬県生まれ。
    43年旧制東京高等農林学校(現・東京農工大学)農学科卒業、農林省勤務。
    73年群馬県渋川市収入役。81年〜2001年渋川市長。
    元群馬県市長会長。元群馬県市町村職員共済組合理事長。
    元群馬県農業共済組合連合会長。
    趣味は美術鑑賞・樹木の勉強。

    ■目次



    はじめに――1

    第一章 美への憧れ――11
     美しい緑こそ渋川の宝――11
     農林省勤務、渋川市収入役を経て、市長へ――12
     渋川の自然と環境――14
     川端龍子の『怒る富士』――15
     絵画や置物は日常の一部だった――20
     礒部草丘画伯と父との交流――24

    第二章 花と緑のまちづくり――31
     緑に囲まれた家に生まれ、緑の中で育った――31
     山と緑に遊ぶ――33
     「人畜無害の政策」と呼ばれたが……――35
     森林の公益的機能は計り知れない――37
     成人記念植樹と楷――40
     「緑被率」でゴルフ場を規制――46
     日米さくらの女王を迎えて――52
     千年の森――55
     街路樹が文化を運ぶ――栴檀への思い入れ――59
     マロニエと日本シャンソン館――62
     百日紅と俳句――67
     鈴懸の木――68
     一本の樹木にまさる建物はない――70
     街路樹との対話――77

    第三章 市の花 紫陽花――79
     紫陽花のまちづくり――79
     元総理の葬儀に紫陽花の花――84
     小野池あじさい公園と文学碑――86
     戦死した学友に紫陽花を――95
     紫陽花をめぐる人びと――99

    第四章 芸術の森――107
     文化行政への取り組み――107
     市全域を芸術の森に――110
     彫刻の設置計画――114
     なぜ彫刻にこだわるのか――120
     渋川現代彫刻トリエンナーレ――122
     図書館の外壁を中学生の陶版画で――127
     全幼稚園、保育園に彫刻を――132
     中学生の創作を公園に――135

    第五章 彫刻と作家のものがたり――143
     花と緑と『讃太陽』――143
     桑原巨守氏と綾子夫人――147
     綾子夫人からの手紙――150
     『光の恋人』と飯田善國氏――158
     『人入』と空充秋氏――161
     『佇立』と蓮田修吾郎氏――166
     『意志杉』と水井康雄氏――170
     平和のシンボル『遠望』――175
     芸術家と市行政――178
     作者と意見が異なることもあった――180

    第六章 美術館と芸術の散歩道――183
     銀行のビルに渋川市美術館――183
     桑原巨守彫刻美術館――186
     「アルテナード」と競う芸術の館――192
     全国創作こけし美術展――200

    第七章 行政に文化を――205
     インターの名称に歴史的・文化的思考を――205
     温泉名を文学的思考で――208
     三美が丘自然公園と赤城のこころ――210

    あとがき――215



    はじめに


    
     「日本のまんなか緑の渋川」――渋川という地名を知らない人でも、
    日本のまんなかという言葉を聞いて、兵庫県西脇市などと「日本のへそ
    (日本の中心)」論争を繰り広げた都市じゃないかと思い出す人もいるかもしれない。
     渋川市は群馬県のほぼ中央に位置している人口約5万人の市である。
    私は、昭和56年五月から平成13年5月まで5期20年にわたって同市の市長を務めた。
     もう少し渋川の説明が必要かもしれない。日本地図を広げてみてほしい。
    ほぼ中央に、鶴が羽を広げて大空に舞う姿に見えるのが群馬県で、
    そのまん中にあるのがわが渋川市である。
     国定忠治で有名な赤城山、奇岩怪石で観光客を魅了する妙義山と並び、
    上毛三山の一つに数えられる榛名山の東側山麓に渋川市はある。
    坂のまちだ。名湯の誉れ高い伊香保温泉のある伊香保町とは隣接している。
    さらには草津、四万などの温泉への入口でもある。
     伝統的な農林業のほか、鉄鋼、化学などの工場が多い工業都市でもある。
    シャンソン界の大御所芦野宏氏が設立した日本シャンソン館、
    現代美術のハラ・ミュージアム・アークなどアルテナード(芸術の散歩道)
    を訪れる県内外の客も多くなった。多くの温泉や観光地の入口という立地を
    活かしたビジネスも盛んである。
     政治的には、衆議院が中選挙区制の時は、総理になった福田、中曽根、小渕の三氏
    が長年選挙戦を闘った旧群馬第3区である。小渕総理の誕生は小選挙区=
    群馬第5区になってからである。
     私が市長在任中に心がけてきたことは「どうしたら風格のあるまちにできるか」
    ということだった。人に「人格」があるように、市にも「市格」があるのではないか
    と私は思っている。
     確かに、行政がなすべきことは、市民が経済的な豊かさを享受できるように
    さまざまな施策を行うことをはじめ、福祉、教育、環境など多岐にわたる。
    全国を見渡してユニークな施策を拾えば、それなりの特徴は出てくるだろうが、
    人口の規模が同じで、関東、九州、東北など同一地域内であれば、地方自治体の
    施策にそれほど大きな違いがあるわけではない。
     にもかかわらず、現実に、他の地域からも注目され、尊敬される市がある一方で、
    そうでない市があるのは、なぜなのだろう。
     「市格」というのは、つきつめて考えれば、市民一人ひとりの日常の行動、
    企業や行政の対応の積み重ねから滲み出てくるものではないだろうか。
    市民の「人格」「品格」「風格」が集まって、その市の「市格」つまり環境・
    雰囲気が醸し出されてくるのであろう。こんなことを考えて、私は緑と美術に
    着目したのである。知的興奮を覚えるようなまち――それが「日本のまんなか」
    とともに、私の描いた渋川市の理想の姿だった。
     小さな町や村なら、隅々まで目配りができ、きめ細かな施策を展開するのも
    比較的容易だと思う。渋川市は人口約五万人だが、幸い私は二〇年にわたって
    市長を務め、多くの市民の方々の顔と名前、人となりまでわかるようになった。
    それほどまでに、市内のことについては知り尽くしているつもりである。
     人口五万都市でも、私は手づくりに近いまちづくりができたと思っている。
    現実と理想を結ぶもの、それが政治だと私は思う。本書は、市の風格にこだわった、
    小さな市の市長のささやかな挑戦の個人的な覚え書である。

      登坂 秀
        平成14年8月

    ■あとがき



      あとがき
     風格のあるまちをつくりたい。こんな思いで一生懸命走った。
     市長職は、駅伝競走のランナーのようなもので、任期中にまちづくりが完了する
    わけではない。しかし、この仕事は私でなければ、と思うこともある。
    多少の自負を持ちながらひたはしりに走った。
     5期20年が終わった。
     思えば、昭和56年5月市長就任。昭和57年、この年を緑化元年と心に決めた。
    昭和58年、「日本のまんなか緑の渋川」のキャッチフレーズを決め、
    オンリーワン都市をめざした。昭和59年、文化行政基本構想、芸術の森構想の
    検討に着手した。
     あれから、永い間、皆さんにお世話になった。いろいろのことがあった。
     ある有識者が「このまちには文化がない」と私に言った。私は「それは貴方に文化
    がないからです」と心の中で言い返したものだ。周囲を見れば、歴史や文学をはじめ
    面白い話が、こんなにもころがっているのに……。
    経済のみに心をとられ、人間性を喪失した社会に、芸術や文学などが必要だと
    つくづく思いながら政策を進めた。
     緑のまちづくりは、私の特徴的な政策として支持を受け、着実に進めることが
    できた。緑が文化を呼ぶまちになってきた。
     緑への視点も大きく変わってきた。花と緑から、森と川と海はひとつ、
    太陽と風にとか、地球環境の視点で緑の認識がされるようになってきた。
     芸術の森構想も着々と進んだ。
     まちづくりが、経済や機能のためだけではなく、文化の視点から考えられるように
    なってきた。そこに個性を求め、人間性を求め、彫刻の設置が広く理解される
    ようになった。  野外彫刻を入れたまちづくりも進み、新しい都市空間が創造された。
     小学生の創作が、さいたま新都心に、中学生の作品が、市総合公園に、
    それぞれ設置された。
     渋川市美術館・桑原巨守彫刻美術館も開館した。美術館は見る人の心が育たなければ、
    一つの建物にすぎない。見る人の心に迫る企画がなければ同じことである。
     美術館友の会もできた。この道を理解し、美しいものに感動し、格調高い都市
    を求めて活動する仲間達だ。
     市域面積でいえば全国の都市のうち第五一四位という小さな都市で、
    市民と行政が力を合わせて「緑と彫刻のまちづくり」を続けてきた。
     まちの姿が一変した。
     本書は、その歩みをまとめた、ささやかな報告書である。
     書き残したものも多い。これで満足はしていないが、次の機会があればと
    願っている。
     この書物が公刊されることになったのは、白日社の松尾義之氏のご好意による。
    松尾氏は大学の後輩にあたるが、とくに緑と樹木の話が気に入って、
    たびたび群馬県の拙宅まで足を運ばれ、編集にあたって心を配ってくださった。
    深い謝意を表したいと思う。
     最後に、ここに関係された皆様に心からお礼を申し上げて筆をおく。

      登坂 秀
     平成14年8月






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